B.F.Skinnerのサイン入りTシャツ秘話

執筆者:久東光代
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B.F.Skinnerのサイン

 1978年9月、慶應義塾大学で日本心理学会大会が開催され、心理学専攻の院生だった私は、先生方や先輩方と準備に追われることになりました。当時、行動分析学の第一人者であった佐藤方哉先生を中心に、B.F.Skinnerを招請した講演会が企画され、記念のTシャツを作ることになりました。研究や授業でスキナー箱の実験が盛んに行われ、毎日ほんの5gしかエサをもらえず過酷な実験に従事するハトたちを思い、先輩のデザインで、Tシャツの絵柄は、"No More Skinner!"のプラカードを持つハトになりました。

 でも、いざ、スキナー先生の来日が近づき、みんなで「"No More"ではまずいのでは?」となって、プラカードの文字を、あっさり"Welcome Skinner!"に作り直しました。

 大学を来訪されたスキナー先生にお茶をお出しすることになった私は、緊張しつつこのTシャツを着用してお目にかかりました。スキナー先生は背がスーッと高くて白髪、第一印象は「わぁーっ!格好いい!!(うちの先生方と違って・・笑)」でした。先輩方に「サインしてもらえ!」と命じられ、慌ててマジックペンを手にお願いしたところ、スキナー先生は、ニッコリ優しい笑顔で快く応じてくださいました。

 佐藤先生がご講演の通訳をすることになり、講演会前日、院生数名が先生のご自宅(本学目白キャンパスのすぐ近く)に集められ、翻訳作業のお手伝いをすることになりました。私は佐藤先生のゼミ生ではなく、原稿の清書係(当時は手書き)で呼ばれたのですが、夜中に先生が突然「僕は寝る!」と仰って、弟子たちが翻訳を引き継ぐことになり、最後はなぜか私も日本語訳を作る羽目になりました。先生以外全員、徹夜でフラフラになって、翌日、会場の白金・都ホテルに向かいました。

 スキナー先生も佐藤方哉先生ももうこの世にはいらっしゃいませんが、当時、一緒にこの窮地を乗り越えた院生仲間とは、今でも会うと必ずこの想い出話で笑い合います。

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B.F.Skinner先生(1904-1990)のプロフィール

20世紀に影響力の大きかった米国の心理学者で行動分析学の創始者。ミネソタ大学、ハーバード大学などの教授を歴任。ヒトの行動は過去の行動の結果のみに依存すると考え、内的な意識を考慮に入れない徹底的行動主義を貫いた。過去の行動に対する結果の良し悪しが次の行動の生起率を左右するとした強化理論による行動強化の手法を「オペラント条件付け」と呼び、考案したスキナー箱を用いた動物実験を繰り返しその実証に務めた。