心理学科発足当初のこと③

執筆者:川原ゆり(元心理学科教員・日本女子大学名誉教授)
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2021年春・いざ目白キャンパスへ!

高校の授業科目にない心理学は、受験生にとって専攻する学科内容が必ずしも充分理解されておらず、ほとんどの受験生は、心理学とカウンセラーが強く結びついておりました。入学してくる学生の8〜9割が、将来臨床心理学を学びカウンセラーになりたいという動機を持っていました。皆心優しく、人のお役に立ちたいと純粋な気持ちの学生が多いようでした。これらの学生に、臨床の先生方は、臨床心理学の中でカウンセラーという仕事がどれほど厳しく、努力のいるものかを4年間かけて教え込み、覚悟を求めました。そのおかげで、大学院に進み臨床心理士として歩みだした卒業生たちは、立派に仕事を続けています。また1年次では希望が少なかった基礎心理学への専攻は、学年が進み、ゼミで教えられるうちに、心理学の基礎を学んで人間理解を深めて、多方面の職種に就きました。またさらに学びを得て、言語聴覚士や作業療法士、医師などパラメディカルな職種に進んだ卒業生もおりました。その活躍は多彩です。基礎と臨床の心理学を両輪として以来、その成果は卒業生の活躍で評価されています。

心理学科学生の積極性は、学生生活のいろいろな場面で発揮されました。開設時の学部は1年生だけで、見習う上級生がいないため、1期生は卒業するまで新しい学生生活の筋道を作っていきました。高校生と同居となった学生寮では、心理学科の学生が委員長となり、寮生活の規則や高校生との折り合いなど難問に取り組み、学生委員として学生生活に関わった私の研究室に膝詰め談判に及ぶこともありました。学生と教員とで新しい学生生活の構築を図り、それをもとに学生生活が次第に大学生らしくなっていきました。

新入生が増えるに従って、上級生としてのオリエンテーション方式が改善され、心理学科の作ったオリエンテーションガイドを、他学科のオリエンテーション委員や学生課が参考にするようなこともあり、さすが心理学科といわれたものでした。

新学科の創生は、教員だけではできません。学生と教員が親しく切磋琢磨して交流することによって、それぞれのゼミの特徴や雰囲気が出来てきました。他学科では、研究室のオフスアワーを決めており、自由に研究室の先生方を訪ねることが少ないようですが、心理学科の研究室にはかなり自由な訪問があり「どこでもドア」の様子がありました。それによって基礎・臨床の区別なく学生の交流ができたのも心理学科の特徴でした。夜遅くまで研究室の灯りがついているのも心理学科。

こうして年月が過ぎるうちに、心理学科にも大学院ができ、専門性の高い研究ができるようになり、次第に学生の様子も変わってきたと聞いております。何事も変わりゆくもの、それでも開学の時に、心理学科はこうでありたいと皆で作り上げた理念は、脈々と流れていると信じています。その当時の先生方のうち、岡野先生、高橋先生、国谷先生がすでに冥界に旅立ち、当時の先生方が定年退職されました。新しいメンバーによって新しい木々が育ち、その成長が待たれます。

生田の自然にはぐくまれた心理学科も2021年度に、いよいよ目白キャンパスに合流することになり、新しい発展が期待されます。自然の中で、じっくりと心の働きを見据えてきた心理学科の学生たちが、新鮮な都会の刺激を受けてどのように発展するのでしょうか。自然の成り行きを日々目にして、豊かに育ってきた学生たちのナイーブな精神を目白の学生たちにも大きなインパクトとして与えることが出来るよう祈っています。

日本女子大学人間社会学部心理学科(編)(2011)「心理学科の20年」