心理学科発足当初のこと➀

執筆者:川原ゆり(元心理学科教員・日本女子大学名誉教授)
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1990年に人間社会学部が西生田キャンパスに設置されました。今から30年前です。将来を見据えて心理学科を含めた新学部の開設は、大学改革が各大学で始まろうとする以前の時期でした。改革は「新しい酒は新しい皮袋から」とキャンパスを西生田に定め、スタッフも学内、学外から学科内容に適応したメンバーを求め、当時はかなり張り切って学科創設に取り組みました。学科創設の準備委員として、日々ご苦労されたのが岡野恒也先生と高橋たまき先生でした。毎日の会議で学科内容やスタッフの選定、学科の施設整備など、5学科の準備委員会とともに論議を交わされ、心理学科の誕生に力を尽くされました。

今でこそ珍しくなくなった「人間社会学部」という名称は、1990年当時は日本初という触れ込みで新聞の一面広告を掲げ、期待が込められた発足でした。1991年4月に、新たに校舎が新築され、1期生は、定員よりもかなり多い5学科500名余の新入生を迎え、何もかも充分に備わっていない教育・研究環境の中で、てんやわんやの毎日が始まりました。

日本女子大学では、自然科学系の学科には実験を課すという伝統があり、心理学科も実験を重視する方針でした。心理学科は基礎心理学と臨床心理学を両輪として、将来を見通した学科編成を構築して始まり、学生は基礎心理学も臨床心理学もしっかり学ぶこと、同時に厳しい実験実習を通して、心理学を体験することとしました。卒業論文もオリジナリティが求められ、文献研究ではなく、実験や調査を必ず行いまとめることになっていました。

最初の4年間は、臨床領域の教員は国谷誠朗先生、平木典子先生、鵜養美昭先生の3人、基礎領域の先生は、岡野恒也先生、高橋たまき先生、鳥居登志子先生、本間道子先生、杉本敏夫先生、須賀哲夫先生、川原の7名でした。初年度は全員の先生方が揃わず、当面1〜2年生の科目をもつ先生方で始まり、2年目から総スタッフが揃いました。

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