心理学科発足当初のこと②

執筆者:川原ゆり(元心理学科教員・日本女子大学名誉教授)
nishi_ikuta_38.jpg
西生田キャンパス(中央左上の小さな赤い屋根が体育館)

前述したような教育内容を考慮して、学部内では最も定員の少ない60名としました。前評判が高く受験生が殺到し、また社会人入学への期待もあり、社会人だけでも学部トップの90名の応募があり、選考に苦労しました。その結果1期生はなんと50%増の90名となり、教員は頭を抱えたものです。教育は大変でしたが、この90名のエネルギーと意気込みは大したものでした。開設4年間はカリキュラム変更ができず、学士入学者も学部生と一緒に1年次から授業を受け、社会人学生の熱意が、若い学生に多大なインパクトを与えました。若い学生の意欲と、社会人学生の熱意が相まって、人数が多いだけに心理学科の学生は、学部の中でも大変評判がよく、さすが心理学科と他学科の先生方からお褒めをいただき、私達も大いに気を良くしたものです。

当時学科長の岡野先生は、心理学は現象を科学的に捉えるものとしたいという意向があり、心理学科に生理心理学を設置し、それに伴い研究に必要な機器を揃えてくださったのです。岡野先生に、測定のためにシールドルームが必要であると言えば、どこかに設置できないかと学内を探し回り、体育館の2階にスペースを見つけ、シールドルームを作りました。そこで、脳波や皮膚電気反応(GSR)、呼吸、心電図、事象関連電位などの測定を行っていました。

心理学にとって心の問題を深く極めていくと同時に、その際の身体活動や脳の変化に大きく関心を持つ事は大切なことと思います。しかし、脳の活動をとらえるには女子大の実験装置では不十分でしたので、筑波大学などで実験を見せていただいたり被験者になったりすることで、学生たちは新しい実験方法に触れていきました。生理心理学の入り口の事しか実験装置で見せてあげられませんでしたが、学生たちは熱意と創意工夫で、粗末な実験装置ながら実験を進めてきました。例えば、脳波の電極位置を決めるために使用した、日本女子大式メジャーは秀逸でした。印のついた1本の短い紐で、電極位置を素早く決めていくことが出来るものでした。東大の精神科で研究の手伝いをしていた学生が考案した、女子大式メジャーを見た東大の先生から「それいいねぇ」と褒められたとのことでした。当時は電極1つつけるのも手作業で、場所を決め、アルコールで装着部位をきれいにした後ゼリーをつけた電極をテープで固定していました。チャンネル数が多くなればなるほど、手間のかかる準備作業でした。それを代々4年生から3年生へ伝授され、翌年も同じように上の学年から下の学年へと、学生間で使い方が継承されていきました。

③へ続きます