日本初の女性文学博士(Ph.D)原口鶴子:心理学の先駆者として ④

執筆者:本間道子(元心理学科教員・日本女子大学名誉教授)
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帰国後の活動

 帰国の途では、ヨーロッパをまわり、インド洋上で明治時代の終焉を知り、5年ぶりの日本でありました。早速、心理学会からの歓迎と成果発表の講演、学会誌へ論文投稿と矢継ぎ早の活動が始まりました。そして新たな研究課題では、大学院で身近にその動向を知ることができたキャッテルのパラダイムに軸足を向け、児童の知能測定に着手し始めます。その一方では一般社会、メディアの注目もあり、新聞・雑誌への寄稿、講演などの活動が続きます。

 そして13年、14年と2人の子供が誕生し、また母校の授業・実験の手伝いもしつつの八面六臂の活躍でした。夫の早稲田大学勤務と合わせ、雑司ヶ谷に住まいを移し、新進研究者として、ワーキング・ママとして多忙ではあるけど夫のサポートもあり充実した日々でした。

 しかし、徐々に身体の不調、微熱に悩まされ、やがて授業・研究の中断と治療そして、遂には療養を余儀なくされます。1915年9月、療養先の静岡・伊東で家族、学園関係者、学友仲間に惜しまれつつ逝去します。29歳でした。心理学会でもその早い死を悼み、学会誌『心理研究』47号に夫・竹次郎の追悼文が掲載されました。

 しかしその後は、我が国では、原口の研究主題、博士論文、新たな研究構想などは関心をもたれることはなく心理学界の表舞台からその姿はなくなりました。けれども母校ではその生き方に感動し鼓舞され、その中にはティチャーズ・カレッジ校を目指し、そこで博士号を取得する後輩も現れ、彼女の痕跡は後輩への伝言のなかで、あるいは学科目のなかで引き継がれて来たように思われます。

主著

T.Arai 1912 Mental Fatigue. NY : Teachers College, Colombia University.
(現在も、コロンビア大学・ティーチャーズカレッジ図書館で閲覧可能)

原口鶴子 1914 『心的作業と疲労の研究』北文館(博士論文を邦訳し、新たに方法論などを加筆している)

原口鶴子 1915 『楽しき思い出』春秋社書店(復刻版、山崎朋子編『女性叢書12』大空社(コロンビア大学院時代の研究生活、女性の生き方・働き方の様相、最新流行のオシャレ情報などニューヨーク生活印象)

 

参考文献

荻野いずみ(編著)  1983『原口鶴子・女性心理学者の先駆』 銀河書房
(この著で、改めて原口の存在がクローズアップされ、近代化の中での女性の活躍、心理学の先駆的研究者として注目されだした)

本間道子 2001「教育心理学者:原口鶴子の軌跡」『心理学史・心理学論』vol.3 、p1-10.