日本女子大学における「心理学」の位置づけ➀「心理学」の担当者:草創記のころ
日本女子大学の創立は20世紀幕開けの年1901(明治34)年4月、近代日本の女子高等教育機関が本格的に始動した時期です。以来、女子の総合大学設立を目途に実績を蓄積してきましたが、時代背景もあり、日本女子大学校から日本女子大学としての認可を得たのは、第2次世界大戦後の1948(昭和23)年のことでした。
しかし、「心理学」は、1990年に本学に心理学科が創設されるよりはるか以前、創立当初から基幹科目として重要視されており、少なくとも1931年までは全学部全学科の必修科目に指定されていました。
では、当時心理学を担当していた先生方を、初代成瀬仁蔵校長時代(1901~1920)と第2代麻生正蔵校長時代(1920~1931)を中心に紹介しましょう。
必修科目の「心理学」は、麻生正藏1) 、松本亦太郎2) 、福來友吉、高良トミ3) など、実験心理学を専門領域とする先生方が担当しています。特に松本亦太郎は本校の教育全般に草創期から尽力され、松本の師、元良勇次郎4) も科外講演を受け持ち、1906年より開かれた「毎月会」5) に参加するなど、多大な理解と協力を惜しみませんでした。
さらに、選択科目としては、児童心理学(担当者:高島平三郎)、社会心理学(桑田芳蔵)、異常心理学(小熊虎之助)、児童研究・個性研究(楢崎浅太郎)、性格心理学(小野島右左男)、青年女子研究(千輪浩)などが、多くは1924年以降に開講されています。
このように、本学では心理学が極めて早い時期から、充実した教授陣によって多面的に教育されていたことは、特筆に値すると言えましょう。
1) 麻生正藏(1864-1949):同志社英学校卒業後、同神学校進学。東京帝国大学文科大学哲学科専科生(1888)。1901年本学の学監、後に欧米の教育視察後、心理学・倫理学・教育学を担当。
2) 松本亦太郎(1865-1943):東京帝国大学文科大学哲学科(心理学・倫理学・論理学第一講座)で元良勇次郎に師事。1899年イェール大学よりPh.D.。1913年東京帝国大学教授(文学博士)、実験心理学を講じ、1926年退官。本学では1903-1906と1916-没年まで教鞭をとり、心理学および美術史を講じた。「難しくも心ひかれた実験心理学、写真や複製画を多数使用しての美術史の授業を鮮明に記憶している卒業生も多い」と日本女子大学学園事典(2001 )に記載されている。1927年より本学の教授、評議員、文学部長、児童研究所所長を歴任。次男厚、長女静枝も本校で教鞭をとった。
3) 高良トミ(1896-1993):本校英文学部卒業。1917年渡米、コロンビア大学大学院で実験心理学を修め、Ph.D.。ジョンズ・ホプキンス大学にて研究の後、1921年帰国。1927年より本学教授。
4) 元良勇次郎(1858-1912):旧姓杉田。ジョンズ・ホプキンズ大学で心理学・哲学・社会学を修めPh.D.。 1890年東京帝国大学文科大学教授(文学博士)、精神物理学を講じた。1903年、日本で初の本格的な心理学実験室を、松本亦太郎の尽力を得て、東京帝国大学文科大学に創設。母堂の杉田すがは、本校冨士寮(明治39年設置)の寮監を務めた。
5) 成瀬仁蔵が中心となって行われた女子高等教育研究会。西園寺公望、渋沢栄一、大隈重信、森村市左衛門など本学創設に尽力した政治家・実業家のほか、教育関係者や各女学校の校長などが参加し、活発な論議が成された。