貧困は自己責任か 欠乏と認知能力➀

執筆者:石黒格(元心理学科教員・立教大学教授)
1372211.png

自己責任が社会の風潮です。なにか悪いことが起きると、状況を無視して被害者本人になんらかの落ち度があると言われがちです。私たちは公正世界信念と呼ばれる、「結果には相応の原因がある」という信念を持っている傾向があります。この信念の持ち主は、良いことにも悪いことにも相応の原因があると考えがちなので、被害者を非難しやすくなります。

しかし、貧困を当人の責任として片付けることはできません。このことは、心理学的に明らかにされています。貧困状態に陥った人は、自分の持つ認知能力を十分に発揮できなくなることがあるのです。

このことは、欠乏という側面から説明されています。金銭に限らず、資源の欠乏は深刻な問題(たとえば、水分の欠乏を考えてください)ですので、私たちは自らの残った資源と能力を目の前の問題に集中的に振り向けて対処しようとします。その結果、私たちの、欠乏への対処能力は実際に向上します。この向上は、文字通り、集中ボーナスと呼ばれています。

集中ボーナスは、私たちに目の前の問題を解決する能力を与えてくれますが、大きな代償を伴います。私たちの資源も能力も有限です。何かに使えば、他の何かには使うことができなくなります。そう、集中ボーナスは、それ以外の問題に向けられるはずの資源や能力を喰ってしまうのです。私たちは、それ以外の問題に対処する能力を落としてしまうか、最悪、問題の存在自体を放置してしまいます。この現象は、トンネリングと呼ばれます。

何かと忙しくてバタバタしているときに、大事な仕事や約束をど忘れしてしまったことはないでしょうか。その1つの原因がトンネリングです。私たちは、目の前に重要な問題が差し迫ると、その周辺にあるものが見えにくくなります。その結果、「重要ではあっても緊急ではない」問題を後回しにして、結局、もっと大きなトラブルを起こしてしまったりするわけです。(②につづく