聞かれてこなかった声に耳を傾けるために
自分の困りごとや辛い気持ちを言葉にして伝えるのは多くの人にとって勇気がいることで、簡単ではないと思います。また、言葉はときに日々の対人関係の中で、上下関係、周りからの圧力、あるいは相手への気遣いなどから、語られずに心の中にしまい込まれたままになることがあります。カウンセリングという場は、他で語られなかったことや、今まで言葉にされてこなかったことが語られる場だといえます。「聞かれてこなかった言葉」に耳を傾けることは、弱い立場にある人を支えることや、個人の主体性を尊重することにつながり、カウンセリングでも、それ以外の場でも、とても大切なことだと思います。
そのための一つの考え方として、オープンダイアローグ(Seikkula, & Arnkil, 2014;以下、ODと略)があります。これは、1980年代のフィンランドのケロプダス病院での治療実践から生まれたものです。具体的には、統合失調症の初期症状を呈している患者さんの自宅に、治療チームが連絡を受けてから24時間以内に駆け付け、患者さんやご家族と会話を続けるというものです。この方法で患者さんの予後が劇的に改善することが示され、その後世界各国にODの理論や実践の様子が紹介され、それぞれの国や地域で独自の発展を遂げてきました。日本にも2000年代から書籍が刊行され、徐々に知られるようになり、医療・教育・司法など各分野で実践も行われています。
ODには7つの原則と12の基本要素があります(オープンダイアローグネットワークジャパン(ODNJP), 2018)。原則や基本要素は一つ一つが重要なことですが、その中で、「聞かれなかった声が聞かれる」ために大切だと私が感じていることを、私のやや偏った目線で、いくつかご紹介したいと思います。
まず、安全で安心な対話実践のためには、「相互尊重」つまり、自分も相手も大切にする姿勢が大切だと思います。これはODに限らず、多くの対人関係場面で重要視されるべきことだと思います。
次に大切だと思うことは、「対等性」です。これは、全員の声が平等に聞かれるよう心掛けるということです。全員が平等に自由に発言でき、耳を傾けてもらえること。そして、互いの発言に対して評価的(特にネガティブな)にならないように互いに注意しながら聞き合うということです。
もう一つ大切なこととして、「他者性」があります。これは、自分とは異なる存在として他者を認めることです。「他者性」という言葉には、どこか冷たい響きを感じる方もおられるかもしれませんね。でも、「他者は自分とは違う個人であり、異なる世界や意見を持っている」ということは、考えてみれば当然のことであり、そのことを忘れずにいよう、ということです。実際、他者の心を完全に理解することはほぼ不可能ですが、むしろわからないからこそ、理解しようと努力する、その姿勢が共感的な態度となって伝わると思います。親しい間柄では時に、つい相手のことはわかっているつもりになりがちで、そのために時に相互理解の機会が失われることがあるのは残念なことだと思います。それを防ぐための一つとして、分からないことは確認することが大切だと思います。
そしてODで特徴的なこととして、「多声性(ポリフォニー)」を挙げたいと思います。これは、多くの人がいれば、異なる意見が共存するのは自然なことであり、無理に同調しなくてよい、という考え方です。特に日本人は、空気を読み、調和(ハーモニー)を乱さないことを大切にしているといわれます。そのこと自体は貴重だと思いますが、でも時に心の負担になることもありえます。そこで「ハーモニーよりもポリフォニー」という視点を持つことで、多様な考えが共存でき、同調を強いられないことで、心の安全安心を醸し出す可能性が生まれます。また多声性は個人の中にもあります。私たちの心の中には、今までの人生の中で影響を受けた人たちの声がそれぞれに響き合っているのではないでしょうか。その声に耳を傾け、自分自身が多声性を携えた複雑な存在だと気づくと、多様な他者の声に耳を傾けるきっかけが生まれると思います。
もう一つ付け加えたいことは、「話したくないときは無理に話さなくてよいという権利を保証する」ということが挙げられます。話したいときに話せて、話したくないときは話さなくていい、という自由の保証が安心感につながるのだと思います。
聞かれてこなかった声に耳を傾け、関心を向けることは、今目指されている共生社会の「1人もとりこぼさない」という姿勢にも通じるものだと思います。対話は異なる考え方が出会う場であり、必ずしも穏やかな雰囲気に包まれるとは限りません。そのため日本にはなじみにくい考え方だという声もあり、私にもそれは理解できます。でもODの考え方には互いの安全安心のための工夫が数多くあり学ぶところが多いことも確かです。様々な分野での熱心な実践が人々のために活かされ実を結び、互いを尊重した対話の機会が増えることは、これからの社会に必要なことだと思います。
- Seikkula, J. & Arnkil, T. E. (2014) Open Dialogues and Anticipations. Respecting Others in the Present Moment. National Institute for Health and Welfare. (齋藤環(監訳) (2019) 開かれた対話と未来 今この瞬間に他者を思いやる.医学書院)
- ODNJPガイドライン作成委員会 (2018) オープンダイアローグ 対話実践のガイドライン.
