感情・人格心理学Ⅱ ある日の授業風景 

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この科目「感情・人格心理学Ⅱ」は、主に「人格」つまり「パーソナリティ」を中心に扱います。この回のテーマは「パーソナリティ障害」でした。

 “ある時は相手のことを全面的に大好きになるが、次の瞬間には全面的に大嫌いになる。”

“いつもは自分のことを優秀で特別だと思っているが、急に無価値でむなしい人間だという感覚に襲われて混乱する”

“一人ぼっちだと実感することに耐えられず、不安定な対人関係を営んでしまう”

などなど、本人は一生懸命生きているだけなのに、なぜか自分がわからなくなったり、感情の振れ幅が大きくなったり、周りの人間とうまくいかなくなったり、といった問題を抱える人たちがいます。

 こうした問題は誰しもが体験するものでもあります。ただそれが、一定の基準を超えて、広い範囲で持続しており、本人の大きな苦しさにつながっている場合、それを「パーソナリティ障害」と呼ぶことがあります。 

ここまでの講義では、「パーソナリティ」の「障害」「病理」について、基礎的な概念や理論をいくつか見てきました。

「良い自分」と「悪い自分」に分裂させてしまう心の仕組みは何に由来するのか、そもそも「自分がある」という感覚はどのように育まれるのか、場面によっていろいろな「自分」が切り替わってしまう背景にはどんな心の流れがあるのか、などについて、考えてきました。 

 

その上で、ある回では、

Q・パーソナリティを「障害」と呼ぶことの

(1)   良い面と、(2)悪い面は、何でしょう?

と問いを発して考えてもらいました。

 学生たちに意見を求めると、

「いろいろな理論や支援法がわかるのはメリット」

「自己理解や相手の理解が得られる」

「“区別”をしてしまうことのデメリットがある」

「決めつけになってしまう」

などなど、いろいろ考えてくれます。

それらをふまえて、「パーソナリティ障害」という言葉自体が、何か実体のあるものではなく、専門家たちが話し合いによる合意形成によって共同保有している「道具」にすぎない、ということを考えていきます。

「こういう状態の方たちがいて、おおよそこういうこころの仕組みを抱えていて、それゆえこんな風に苦しんでいる。そして、Aという関り方や、Bという治療法が役に立つ」といったおおまかな指針を得るためのものである、ということを共有していきます。

「道具」なので、使う目的を間違えると、自分や他人を傷つけることもありますし、また「道具」を自主的に使っているはずが、気がつくと道具に「使われて」振り回されてしまうこともあります。

 そもそもパーソナリティ(性格)という言葉自体、「おばけ」のように実体がないものです。様々なパーソナリティ理論を紹介しつつ、同時にそれをちょっと相対化して、「目的的」に活用してもらう姿勢も、この講義を通して育んでいけたらと思っています。